ようこそ、みささぎめぐりへ───。歴代天皇の陵墓をめぐり、当時の景色に思いを馳せる旅。
今回は、奈良時代に輝いた独身の女帝、第44代:元正天皇(げんしょうてんのう)をご紹介します。
母である元明天皇から譲位され、甥の首皇子が成長するまでの中継ぎとして、律令国家の確立期を支えた彼女の気高き生涯と、その治世の足跡を詳しく紐解いていきましょう。
元正天皇の人物像・エピソード

第44代天皇である元正天皇は、680年に草壁皇子と阿閇皇女(後の元明天皇)の間に誕生しま、氷高(ひたか)皇女と名付けられました。
才色兼備の女性であったと伝えられ、歴代天皇の中でも際立った存在感を放っていますが、元正天皇を語る上で欠かせないエピソードは、彼女が日本の歴史上初めて、生涯未婚のまま即位した女性天皇であるという点です。
聖武天皇が成長するまでの”中継ぎ”としての即位

これまでの女性天皇(推古天皇や持統天皇など)は天皇の后(皇后)としての経験を持った後に即位していましたが、氷高皇女は独身のまま玉座に就きました。
彼女が即位したのは715年のことであり、弟である文武天皇が早世した後、その遺児である首皇子(後の聖武天皇)がまだ若年であったため、彼が成長するまでの”中継ぎの天皇”として母の元明天皇から皇位を譲り受けたのでした。
養老律令の編纂と日本書紀の完成

元正天皇は中継ぎとして即位したものの、その治世において日本の国家体制を盤石にするための極めて重要な功績を数多く残しています。
法治国家体制の完成

最大の功績は、祖父にあたる天武天皇の時代から進められていた法治国家体制の完成です。
彼女は当時の最高実力者であった藤原不比等に命じて、大宝律令の改訂版である「養老律令」の編纂に着手させました。
この養老律令は後世にわたって長く用いられ、明治維新に至るまで日本の法制度の根本を支え続けることとなります。
日本書紀の完成
さらに、720年には舎人親王らが中心となって編纂を進めていた歴史書『日本書紀』が完成し、元正天皇に奏上されました。
これにより、日本という国家の成り立ちと天皇家の正統性が対外的に明確に示されることとなりました。
また、地方の開墾を奨励し、疲弊した農民を救済して国家財政を安定させるため、723年に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」を制定しました。
これは、新たに田畑を開墾した者に対し、三世代にわたってその土地の私有を認めるという画期的な法律であり、後の墾田永年私財法へと繋がる重要な土地政策となっていきます。
元正天皇治世の時代背景
元正天皇が治めた8世紀初頭は、都が平城京へと遷され、律令国家としての繁栄が頂点を迎えようとしていた時代でした。
同時に、遣唐使などを通じて大陸の最先端の文化が次々と流入し、華やかで国際色豊かな天平文化の礎が築かれつつありました。
養老の滝
元正天皇にとって最大のゆかりの地となったのは、美濃国(現在の岐阜県)にある「養老の滝」です。
717年、元正天皇はこの地を行幸し、山麓から湧き出る菊水泉の水を浴びました。すると、その清らかな水によって肌が若返り、痛みが消え去ったと深く感動したと伝えられています。
天皇はこの霊験あらたかな美泉を讃え「醴泉(れいせん)は美泉なり。もって老を養うべし」との詔を出し、元号を「霊亀」から「養老」へと改元しました。
この劇的な改元エピソードにより、養老の滝は現代に至るまで名水として、また親孝行の伝説(孝子伝説)の舞台として多くの人々に親しまれています。
元正天皇と関連氏族・敵対勢力との関係性
元正天皇の政治を強力に支えた最大の関連氏族は、藤原氏の祖である藤原不比等でした。
不比等は右大臣として実質的に政権を主導し、養老律令の編纂など天皇の主要な政策を推し進めました。
元正天皇と不比等の間には確固たる信頼関係があり、この時期は皇室と藤原氏の協調体制が最も機能していた時代とも言えるでしょう。

しかし、720年に不比等がこの世を去ると、朝廷内の勢力図は大きく変化します。
元正天皇は不比等の後継として、妹の吉備内親王の夫であり、天武天皇の孫にあたる長屋王を右大臣に抜擢しました。長屋王は元正天皇から厚い信任を受け、皇族の筆頭として政務を司ることとなります。
この人事により、藤原氏の権力独占を警戒し、皇族を中心とした政治体制を維持しようとする元正天皇の強い意志が読み取れます。

この時点では決定的な敵対勢力との武力衝突は起こりませんでしたが、朝廷内では長屋王ら「皇族勢力」と、不比等の息子たち(藤原四兄弟)が率いる「藤原氏勢力」との間で、権力闘争の火種が生まれつつありました。
元正天皇が聖武天皇へと譲位した後、この対立はついに「長屋王の変」という悲劇的な政変として爆発することとなります。元正天皇の治世は、平和で安定した法治国家の絶頂期であると同時に、次代の権力闘争の序章を孕んだ時代でもあったのです。
元正天皇陵の基本情報
| 項 目 名 | 内 容 |
|---|---|
| 天 皇 名 | 元正天皇(げんしょうてんのう) |
| 本 名 | 氷高皇女(ひたかのひめみこ) |
| 御 父 | 天智天皇(てんぢてんのう) |
| 御 母 | 姪娘(めいのいらつめ) |
| 御 陵 名 | 奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ) |
| 陵 形 | 山形 |
| 所 在 地 | 奈良県奈良市奈良阪町 |
| 交通機関等 | JR/近鉄「奈良駅」よりバス (バス停) 奈保山御陵から徒歩約5分 |
| 御在位期間 | 715年~724年 |
正天皇が静かに眠る奈保山西陵は、平城京の北側に広がる穏やかな丘陵地に位置しています。
そのすぐ東側には、母であり前天皇である元明天皇の奈保山東陵が並んでおり、中継ぎとして皇統を守り抜いた母娘の絆を今に伝えています。
生涯独身を貫き、日本の法と歴史の基礎を完成させた女帝の御陵は、現在も静寂に包まれ、訪れる者に律令国家黎明期の歴史を静かに語りかけています。

拝殿を振り返ると見える景色。
