「みささぎめぐり」へようこそ。歴代天皇の足跡を辿る旅、今回は飛鳥から奈良への橋渡しを行い、日本史上最も華やかな「奈良時代」の扉を開いた元明天皇(げんめいてんのう)をご紹介します。
彼女は天智天皇の娘であり、文武天皇の母です。息子の急逝を受け、孫である首皇子(後の聖武天皇)が成長するまでの中継ぎとして即位しましたが、その治世は「中継ぎ」という言葉では片付けられないほど、歴史的な大事業のオンパレードでした。
1. 人物像・エピソード:銅の発見に沸いた「和銅」のヒロイン
元明天皇の本名は阿閇皇女(あへのひめみこ)。彼女の治世を象徴するのが、日本初の元号ブームとも言える「和銅(わどう)」への改元です。
武蔵国からの贈り物
708年、武蔵国(現在の埼玉県秩父市)から、精錬する必要のないほど純度の高い「自然銅」が献上されました。これを「日本の銅が和(やわ)らかに得られた」と喜んだ彼女は、元号を「和銅」と改めました。これが、日本の通貨歴史の第一歩となります。
気品あふれるリーダーシップ
彼女は父・天智天皇の聡明さと、姉(あるいは義母)である持統天皇の決断力を受け継いでいました。穏やかながらも、国家の100年先を見据えた大規模なプロジェクトを次々と実行に移す、まさに「奈良のゴッドマザー」でした。
2. 功績:奈良時代のインフラと文化を創出

元明天皇の最大の功績は、「平城京への遷都(710年)」と「和同開珎(わどうかいちん)の発行(708年)」です。
平城遷都「なんと(710)綺麗な平城京」という覚え方で有名なこの遷都は、元明天皇の時代に断行されました 。それまでの藤原京から、唐の長安をモデルとしたより壮大な都へと拠点を移したのです 。この平城京から、華やかな「奈良時代」が幕を開けました。
和同開珎の発行と蓄銭叙位令武蔵国(現在の埼玉県)から銅が献上されたことをきっかけに、年号を「和銅」と改め、日本初の公鋳貨幣とされる「和同開珎」を発行しました 。それまでの物物交換から貨幣経済へと移行させるため、お金を貯めた者に位階(ランク)を授ける「蓄銭叙位令」という法律まで作っています 。
歴史の成文化(古事記・風土記・日本書紀)元明天皇の治世において、太安万侶(おおのやすまろ)によって『古事記』が完成(712年)しました 。また、各地の特産品や伝承をまとめた『風土記』の編纂を命じたのも彼女です 。これらによって、口伝であった日本の物語が初めて「公式な記録」として定着しました 。
3. 時代背景と周辺エピソード

元明天皇の時代は、国家が急速に整備されていく一方で、新しい仕組みゆえの「迷走」も見られた興味深い時期です。
経済政策の失敗談前述の「蓄銭叙位令」には、現代の私たちから見ると驚くような失敗談が残っています。富山県(越中)の豪族が東大寺に多額の寄進を行い、その功績で「従五位(じゅごい)」という、いわゆる「殿上人」の位を手に入れてしまいました 。当時の富山県知事(国司)は「従六位」だったため、自分より身分が上になった地元の金持ちに対し、知事が馬から降りて土下座しなければならないという事態が発生したのです 。これは当時の法律の欠陥が招いた「最悪のパターン」として語り継がれています 。
最新の研究と銀銭「和同開珎が日本初の銭」と長年教えられてきましたが、最新の研究ではそれ以前に「富本銭(ふほんせん)」や「無門銀銭(むもんぎんせん)」が存在していたことが分かっています 。これは、第38代・天智天皇の時代にはすでに銀銭を使う試みがあったことを示唆しており、元明天皇のプロジェクトは、先代たちが培ってきた技術の集大成であったとも言えるでしょう 。
4. 関連氏族・敵対勢力との関係性

元明天皇の治世は、藤原不比等という圧倒的な権力者によって支えられていました 。
藤原不比等の巧みな戦術不比等は、自分が最高位の「左大臣」になると、空いた「右大臣」のポストに他の一族が入ってくることを恐れ、あえて自らは「右大臣」に留まり続けました 。自分の出世を止めることで、他の一族に権力を渡さないという高度な政治的駆け引きを行っていたのです 。
ライバルの存在:役小角(えんのおづぬ)政治の世界では不比等が最強でしたが、民間や宗教の世界では修験道の開祖とされる「役行者(役小角)」のようなカリスマが存在していました 。伝説では、不比等によって流罪にされた役小角が、空を飛んで日本に帰ってきたという超人的なエピソードも語られており、当時の人々が感じていた中央政府への畏怖と反発が垣間見えます 。
5. 基本情報
項目内容天皇名第43代 元明天皇(げんめいてんのう)
御父天智天皇
御母姪娘(めいのいらつめ)諱(本名)阿閇(あへ)
御陵名奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)
陵形山形
所在地奈良県奈良市奈良阪町
交通機関等JR「奈良駅」または近鉄「奈良駅」よりバス「奈良阪」下車、徒歩約5分御在位期間707年〜715年
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元明天皇の御陵は、平城京を北から見守る奈良阪の地にあります。かつて彼女が築いた都の跡を望むその場所を訪れるとき、1300年前、私たちが今使っている「言葉」や「歴史」の基盤を作ろうとした一人の女性の、力強い意志を感じることができるでしょう。
今回の「みささぎめぐり」は、いかがでしたか? 遷都という一大事業を成し遂げた女帝の足跡は、今も奈良の街並みの中に息づいています。次回は、元明天皇の娘であり、同じく聡明な女帝として知られる元正天皇の物語をお届けします。またご一緒しましょう。
