日本建国の父とされる初代天皇:神武天皇(神日本磐余彦天皇|かむやまといわれひこのすめらみこと)。
その御陵は、奈良県橿原市にある畝傍山東北陵 (うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)にあり、神武天皇の皇居であった畝傍橿原宮の推定地、その場所に創建された橿原神宮からも徒歩圏内です。
神武天皇
神武天皇は、九州日向の地から畿内へと東征(神武東征)し、現在まで続く統一された王朝(皇室)である日本という国体の基礎を築かれた初代天皇です。
その御名は、日本の国づくりの象徴として現代に伝えられています。
日本の正式な歴史書である古事記によると、神武天皇は広大な日本の地を統一するため、九州から畿内へと道を歩んだとされています。
しかしご兄君である五瀬命(いつせのみこと)は、近畿地方の土着の豪族、長髄彦(ながすねひこ)との戦いで命を落とされ、神武天皇ご自身も一時的に道を見失われるなど、困難に直面したエピソードが残ります。
しかし、その苦境において八咫烏(やたがらす)という存在が道案内を務め神武天皇を導くことで即位したとされています。
詳しい話はここでは割愛しますが、日本建国には勇者もののRPGさながらのエピソードがあったんですね。
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神武天皇の功績
神武天皇の最大の功績といえば、何より「日本国の創設」にあります。
九州は日向を発し、各地の勢力を平定しながら東進され、最終的に大和の地で初代天皇として即位されました。これにより日本に統一された王朝の基礎が確立され、現代まで続く2600年以上にわたる日本の歴史の出発点となりました。
現実的な話をすると、神武天皇の即位後も各地に残る勢力を平定していくエピソード(ヤマトタケルや景行天皇のエピソードなど)が残っていることから、この時点で日本を統一したわけではなさそう(あくまでも筆者の考察です)ですが、いわば2600年続く王朝の礎が奈良県橿原市周辺で出来上がったは間違いでしょう。
これも推察ですが、奈良盆地周辺に乱立していた豪族たちが、イワレヒコまたはそのモデルとなる人物をトップとする形で連合体を形成したのでしょう。
また、この時代背景を理解する上で重要なのは、歴史の記述方法です。
日本の紀元は、紀元前660年とされていますが、とある口伝(正統竹内文書)によるとこれは日本の独自の暦である春秋暦を用いて計算されたものであり、実際の誕生時期は1世紀頃であったそうです。
この春秋暦では、1年を2年として数える時期があったため、現在の暦とは異なる計算がなされていル、という考えです。
※現代でも6月の30日には夏越の祓(なごしのはらえ)という神事が行われますが、これは春秋暦の名残なのかもしれません。
歴史の舞台裏:時代の豆知識
神武天皇が生きたとされる時代は、日本の国家形成期にあたります。
日本の正史である古事記・日本書紀では紀元前660年に即位されたとされますが、これは日本の独自の歴史観である皇紀に基づくものです。
この時代は稲作文化の発展(兄の稲氷命が稲作に強かったとされる記述あり)や、航海技術の進歩(兄の御毛入野命が測量と航海技術に長けていたとする記述あり)など、文化的な基盤が形成されつつありました。
まとめ:その後の影響
神武天皇は、日本という国家の創始者として、その後の日本の歴史に計り知れない影響を与えられました。
その存在は単なる神話上の人物ではなく、ご兄君たちの確かな実績や、後世に続く各氏族への伝承からも、実際に存在していたと思われます。
神武天皇の建国により、日本は単一の王権による統一国家としての道を歩み始め、その後の歴代天皇へと連なる統治の基盤が確立されました。
筆者が考える日本の歴史の面白さは、今上天皇のルーツが神武天皇、もっというと神話から連なっている点にあります。
日本に生まれ生活する私たちも、元を辿れば神話に連なっていたりするんですよね。
基本情報
項目名 | 内容 |
---|---|
天皇名 | 神武天皇(じんむてんのう) |
御 父 | 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず) |
御 母 | 玉依姫命(たまよりひめ) |
御陵名 | 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ) |
陵 形 | 円丘 |
所在地 | 奈良県橿原市大久保町 |
交通機関等 | 近鉄「畝傍御陵前」下車 西へ0.7km |
御在位期間 | 紀元前660年〜紀元前585年4月9日 |
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