初代:神武天皇 〜日向より東征しヤマトの地で即位した日本建国の父〜

初代-第25代

日本建国の父とされる初代天皇:神武天皇(神日本磐余彦天皇|かむやまといわれひこのすめらみこと)

その御陵は、奈良県橿原市にある畝傍山東北陵 (うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)にあり、神武天皇の皇居であった畝傍橿原宮の推定地、その場所に創建された橿原神宮からも徒歩圏内です。

日本の初代天皇として、その建国の偉業を成し遂げられた御方です。

簡潔な概要(1~2文):

神武天皇は、九州から畿内へと東征し、統一された王朝である日本の基礎を築かれた初代天皇でいらっしゃいます。その御名は、日本の国づくりの象徴として現代に伝えられています。

 

人物像:エピソードや逸話を通じて、親しみやすい人物像を描きます。

神武天皇は、広大な日本の地を統一するため、九州から畿内へと東征の道を歩まれました。この道のりは平坦ではございませんでした。特に、ご兄君である五瀬命(いつせのみこと)は、近畿地方の土着の豪族、長髄彦(ながすねひこ)との戦いで命を落とされ、神武天皇ご自身も一時的に道を見失われるなど、困難に直面されました。

しかし、その苦境において八咫烏(やたがらす)という存在が道案内を務め、神武天皇を導いたと伝えられております。このエピソードは、神武天皇が多くの苦難を乗り越え、天佑を受けて日本の建国を果たされたことを物語っています。

 

功績・主な出来事:その時代に起きた重要な出来事や、その方が成し遂げた功績を分かりやすくまとめます。

神武天皇の最大の功績は、何よりも「日本国の創設」にあると言えるでしょう。

九州は日向を発し、各地の勢力を平定しながら東進され、最終的に大和の地で初代天皇として即位されました。これにより日本に統一された王朝の基礎が確立され、現代まで続く2600年以上にわたる日本の歴史の出発点となりました。

また、この時代背景を理解する上で重要なのは、歴史の記述方法です。日本の紀元は、紀元前660年とされていますが、これは日本の独自の暦である春秋暦を用いて計算されたものであり、実際の誕生時期は1世紀頃であったと考えられています。

この春秋暦では、1年を2年として数える時期があったため、現在の暦とは異なる計算がなされていル、という考えです。

※現代でも6月の30日には夏越の祓(なごしのはらえ)が行われますが、これは春秋暦の名残なのかもしれません。

 

歴史の舞台裏:時代の豆知識

神武天皇が生きたとされる時代は、日本の国家形成期にあたります。日本の正史である古事記・日本書紀では紀元前660年に即位されたとされますが、これは日本の独自の歴史観である皇紀に基づくものです。

春秋暦を元に換算すると、西暦ではおよそ紀元1世紀頃に相当する説もあり、これはキリストと同じくらいの時代だったと言えます。

この時代、稲作文化の発展(兄の稲氷命が稲作に強かったとされる記述があることからも推測されます)や、航海技術の進歩(兄の御毛入野命が測量と航海技術に長けていたとされる記述があることからも推測されます)など、文化的な基盤が形成されつつありました。

 

関連人物: 神武天皇の周囲には、建国を支えた多くの重要な人物がいらっしゃいました。

  • 五瀬命(いつせのみこと): 神武天皇の最年長のご兄君で、近畿地方平定の過程で長髄彦との戦いで戦死されました。
  • 稲氷命(いなひのみこと): ご兄君の一人で、「稲を食べる人」という異名を持ち、農耕に長けていたとされます。百済や新羅の国王であった可能性も指摘されており、日本から朝鮮半島へ文明を伝えた存在である可能性も示唆されております。
  • 御毛入野命(みけぬのみこと): ご兄君の一人で、測量や航海技術に優れた人物であったと伝えられています。
  • 道臣命(みちおみのみこと): 神武天皇の側近として、ご病気の際に政務を補佐された方で、大伴氏の祖先にあたります。
  • 饒速日命(にぎはやひのみこと): 神武天皇が受け入れられた人物で、元々は出雲系の人物でありながら、大和の地において大きな勢力を持っていたとされます。その御子である宇摩志麻治命(うましまじのみこと)は、大阪の有名な神社に祀られています。

 

まとめ:その後の影響

神武天皇は、日本という国家の創始者として、その後の日本の歴史に計り知れない影響を与えられました。

その存在は、単なる神話上の人物ではなく、ご兄君たちの確かな実績や、後世に続く各氏族への伝承からも、実際に存在されたことが裏付けられるとされています。

神武天皇の建国により、日本は単一の王権による統一国家としての道を歩み始め、その後の歴代天皇へと連なる統治の基盤が確立されました。

 

基本情報

項目名 内容
天皇名 神武天皇(じんむてんのう)
御 父 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)
御 母 玉依姫命(たまよりひめ)
御陵名 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
陵 形 円丘
所在地 奈良県橿原市大久保町
交通機関等 近鉄「畝傍御陵前」下車 西へ0.7km
御在位期間 紀元前660年〜紀元前585年4月9日

 

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